世界の見え方


 雪の国から逗子に戻って三年と数ヶ月が経過した。
 この僅かなといっていいだろう、ぼくの人生の中では僅かな時間の経過で、しかし世界の見え方というのかな、ぼくを取り巻く環境もそうだし、それをぼく自身がどう捉えているのかといったことになるんだけど、ずいぶん変わったと思う。
 ひとつはやはりぼく自身の内面の変化だろう。いろいろな考え方を知り、そしてそれを受け入れてきた結果だ。これはぼくにとってはとても好ましい方向を向いている。

 もうひとつはやはり環境が大きい。
 TV と決別したというのが決定的だろう。四六時中流れてくる、さながらごった煮のような情報。CM はもちろん、バラエティ番組やニュース、果てはまるで学芸会のようなドラマなど。好むと好まざるとに関わらずスイッチを入れたが最後、放流のごとく押し寄せてる。
 以前は、起きたら TV を点けて、夜寝る前に切るという生活があたり前だった。家族もいたからぼくだけの選択ではなかったけど、しかしそんな生活がずっと続いてきた。
 でもいま起きても聞こえてくるのは、若干暑苦しくはあるけど蝉の鳴き声。目に映るのは窓から射しこむ陽の光だ。

 仕事上での知り合いに TV がないことを話すとだいたい怪訝そうな顔をされる。もうお決まりのように「え?」とときには不信がられることすらある。
「TV がないなんてつまらなくない?」まずこう訊かれる。
 ときには「ねぇ、TV がなければ世間ではどんなことが話題になってるか分からないんじゃない?」なんていわれることもある。
 でも TV から離れてよく解ったことはむしろ TV を見なくなったからこそ、ぼくは世界をきちんと自分なりに捉えられるようになっているということだ。
 情報はネットで得ている。このことの本当の意味を知れば TV のスイッチなんて簡単に切ることができると思う。
 TV はもちろんだがマスコミのバイアスのかかった一方的な情報だけを受け取ることの危うさをやはりみんなすこしは考えた方がいいだろう。もちろん入らぬお節介かもしれないけどね。

 ネットに流れている情報だっていろいろなバイアスがかかっている。それでもさまざまな情報をきちんと自分で確認していけば、一方的に流れてくる情報とは比べものにならないほど確かなものを得ることができる。

 この世界は、ぼく自身の目を通して、ぼく自身の頭が整理して理解しているぼく自身の世界だ。
 それぞれの人がそれぞれ自身の世界を生きているはずだ。その世界を、たとえば TV が垂れ流している一方的なバイアスのかかった情報だけで構築しているとしたら、ほんとうにそれが自分自身の人生を生きることになるんだろうか?

 大切なかけがいのない自分自身の人生を生きていくためにも、世界は自分なりの見方でしっかりと受けとめていきたい。流され続けてここに辿り着いたような気がしているぼくは、いまそう思っている。

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