やっぱり海が見たい それはいわばぼくのアポロ計画


    抗癌剤の副作用か、あるいは腹腔内の癌がいたずらをはじめたのか、慢性的な腹痛と食欲減退のために自由に動けなくなったのが 8 月 6 日のこと。
    前日の 5 日まではいつものような日を過ごしていたんだが、この日から毎日の日課になっていた日記の整理もできず、海へ散歩することもできなくなってしまった。もちろん原稿書きなどできようはずもなく、痛むお腹を抱えながらごろごろしていたわけだ。
    どんな状態だったかは、またいずれ書くことにしよう。

    ほぼ絶食状態から固形物がなんとか食べられるようになりはじめたのが 8 月 20 日すぎ。それから一週間以上経っているんだが、まだ以前のように食事できるところまでは回復していない。いや〜先は長そうだ。
    ということでもちろんだが外を出歩くなんてことはかなり無謀なことになる。通院の必要があったので無理矢理出かけた。その勢いで翌日からはいつでも自由に出歩けるようになったかというと、世の中はそんなに甘くなかったのだ。

    駅周辺までいくのが精一杯。なんとか駅に辿り着いても、今度は帰るのが大変で、ちょっと歩いては休み、ふたたび歩きはじめてはまた休みといった具合で、いつになったら帰り着くのか、それこそ途方に暮れながら帰ったのであった。

    なぜぼくが逗子に住んでいるかといえば、海のある街だからだ。そう、毎日のように海へ散歩するために逗子に住んでいるのである。そんなぼくが海へいけなくなったしまったのだ。
    それでもやっぱり海へいきたい。けれど体力がそれを許してくれない。ということで食事できるようになってから、いろいろとチャレンジをすることにした。

    アポロ計画をご存じのことと思う。そう人類を月へと送ったあのアメリカの宇宙開発計画だ。あれはじつは膨大な計画であって、月へ人類が降り立つまでいくつものステップを設けて、それをクリアしてやっと人類は月面に立つことができたのである。
    なにせアポロ 8 号は月の周回軌道を回っているのだ。じゃ、その次に月へと降りたのかというと、そうではないさらにテストを繰り返し、アポロ 10 号ではそのまま月へと降り立つこともできたのに本番さながらのテストをして、アポロ 11 号でやっとァヘムストロング船長はその一歩を月面に記したのであった。

    ということでぼくはアポロ計画さながら長大な目標を設定してみた。逗子駅が地球の周回軌道とすれば、銀座通りと池田通りの交差点がラグランジュポイントといえばいいだろうか。もちろん逗子海岸が目的地の月に相当する。
    ますば逗子駅周辺だ。こんなの楽勝だよと思っていたけど、翌日はその楽勝のはずだった逗子駅が遠い。なんとか辿り着いて、ベンチに座り込んで、このまま帰ることができるのかどうかを心配するような塩梅であった。
    やっとのことでラグランジュポイントに相当する交差点に辿り着いたとき、海まではほんのちょっとなのに、その道のりのあまりの困難さに挫折して、すごすごと帰途についたこともあった。

    それでも海が見たい。その一心で、昨日のことだが、ようやく海までいくことができた。いや〜、マジでやっとのこと。通院してから一週間後。逗子駅までなんとか歩くことができてから一週間もかかってしまったのだ、海に辿り着くまで。
    長〜い道のりであった。

    しかし、油断は禁物。この間、前日に辿り着けたところまで、その翌日だからといってすんなりといけたわけではない。なんだか一日おきに調子がよかったり、悪かったりだったのだ。

    さてと、今日はどこまでいくことができるんだろう ?

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