あれから三年 やっぱり人生最大の青天霹靂の日だったなぁ


    三年前の今日、ぼくの人生は大きく変わった。
    2018 年の七月、ぼくは体調が恐ろしくよくなくて困っていた。まず食事がまともにできなかったのだ。ついでにいうとお腹がパンパンになりつつあって、這うように仕事に出かけていた。
    いまから考えるとよく生きていられたものだと思うけどね。

    しかしもはや限界だと悟って病院にいった。そこまで病院嫌いだったわけじゃないけど、好んでいく気はまったくなかった。それでもいつも花粉症の薬を処方してくれる病院にいったのが 7 月 19 日。お腹が張っているのでそのまま下剤でも処方されたら解決だろうと思っていたが、原因がよくわからないので専門のクリニックへいくようにいわれた。
    ということで翌日の 20 日に逗子駅前のクリニックへいった。その場でレントゲンを撮られて、腸にガスが溜まっているということを知らされて、下剤を処方しましょうということになった。なったんだが、このまますぐに大船中央病院にいきなさいといわれた。
    念のために検査をした方がいいというのだ。

    ここまで来たらそのままいうことを聞くべきだろうということで、Tシャツ、短パン、ビーサンという軽装だったが、いわれたとおり大船中央病院にいった。
    そこで CT 検査して結果、いますぐ入院しなさいといわれてしまったのであった。なんと腸閉塞であったのだ。
    このあたりの顛末は拙著「腸をなくした男 – 目覚めたら人工肛門になったぼくが、うんちにまみれながらもがいて、首を吊るまでの五六〇日間 -」に詳しく書いたので、もし興味があったら一読いただきたい。

    とまぁ、かよなことがあって緊急入院して、腸閉塞の 手術をすることになった。これで終わればちゃんちゃんということだったんだが、患部の細胞を検査した結果、なんと癌が発覚したわけだ。
    ということで、この日からぼくの癌サバイバーとしての人生がはじまったのであった。

    S 状結腸癌の摘出手術をして、すでにステージ Ⅳ ということで肝転移もしていて、抗癌剤治療がはじまったわけだ。
    このときは、マジで先のことなどまったく考えられなかった。生きていくことができるのかどうかを考える余裕もなく、オストメイトとなり、うんちにまみれながら、まじで藻掻くように日々を送っていたんだよね。

    おかげさまであれから三年経って、いまではともかく毎日をきちんと生きていくことができている。
    でも、すべては三年前のあの日にはじまったんだよねぇ。

    いまでも抗癌剤治療を続けていて、寛解はたぶん無理だと思う。このまま癌と伴に生きて、癌と伴に死ぬことになるんだろう。
    でもね、去年の誕生日に思ったことだけど、これから人生最高の十年を生きようと決めたので、いまは毎日が充実している。

    もちろん、いろいろな人たちの救いの手があったからだ。
    おかげさまで、いまこうやって生きていられる。ありがたいことだ。


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