戦国の村を行く 村人たちの生命維持装置だった 読書メモ


    今年の 4 冊目。藤木 久志 著「戦国の村を行く」読了。

    戦国時代についてはいろいろな角度からその時代を見たいと思っていて、それなりに考えたりしていたんだが、やはりどうしても武士がメインになってしまう。
    小説や映画なんかでもやはり戦国を描くとなると武将に焦点を当てることがほとんどだ。では日本に住む人たちのすべてがこの武士たちなのかというと、まったく違う。あたり前だよね。そういった人たちのことをぼくはまったくといっていいほど知らなかった。
    そもそも教科書に載ってなかったし、たとえば歴史書なんかでも武士以外の人たちについて言及したものはなかったと思う。いや違うな。ぼくが知らなかっただけたらしい。
    著者の藤木久志は 2019 年に逝去されているんだが、立教大学の名誉教授として日本中世史研究を主導されてきたんだそうだ。そんな氏の視線が村に移ったのは 1980 年代のころらしい。多くの論文を発表しているんだそうだ。

    さて、戦国時代の村というときっとその多くの人が思い浮かべるのが「七人の侍」で描かれた村ではないだろうか。ぼくもきちんとしたイメージを持っていたわけではないけど、やはり似たり寄ったりだった。ただ「七人の侍」は映画としては傑作であることは間違いないんだが、史実を描いているわけではない。ま、その詳しい話はまたいつかね。

    この本を読むまでは、いわゆる百姓の人たちはふだんは農作に励み、戦国時代だと大名の要請があれば雑兵として駆り出されるぐらいのイメージを抱いていた。
    けれどこの本を読んで、日本の村ってのはそんな単純なものではなかったことをはじめて知った。そうなんだよ。この本にも書かれているけど、村は生命維持の装置でもあったのだ。

    それぞれの村にはいざというときのための「城」があり、またいざとなると自ら武器を手にして戦うこともあったんだという。さまざまな勢力が武力で戦うようになってからは、これはシステムとして構築されていたようだ。
    村にとってはなによりも大切なのが耕作するための土地であり、自らの命だったわけだ。それをその村を勢力範囲として守護するべきたとえば地頭や、荘園主が護ってくれればいいんだろうけど、状況によってはその守護すべき人たちがその村を戦場としたり、あるいは勢力争いで村を襲うこともありえる。

    そんなときにどうするのかというと「城」に籠もったり、自ら戦ったりということになるわけだ。
    ときには領主の要請に応じて戦場へと赴くこともあったりと、「七人の侍」で描かれているように村の人たちは武力と無縁ではあり得なかったというわけだ。
    その具体例をさまざまな資料を基に繙いている。

    これを読むと戦国時代の地べたの様子の一端を伺い知ることができるだろう。また、日本のベースにはこの村というシステムが機能していることを実感することもできるはずだ。
    命がかかっている訳だからね、村を護るということが絶対になるのは当然だし、それが日本人としての感覚としていまも受け継がれている気がする。

    さて最後の章では著者が住んでいた鎌倉について書かれている。これが逗子に住んでいるぼくにとってはとても興味深い章でもあった。なにしろ鎌倉公方の住居がなんと逗子と鎌倉の境のあたりにあったこともはじめて知ったし、また鎌倉時代以降の鎌倉の様子を伺い知ることができた。
    鎌倉市の人に鎌倉時代以降はただの寒村だったと教えられたことがあったんだけど、じつはそれなりに賑わいのある村だったことをはじめて知ることになった。
    江戸時代のはじめには八百十八軒の家があったんだそうだ。なるほど。


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