調味料をあれこれ揃えなくても、料理ってできちゃうよね


    こんな生き方をしているので、どうせすべて適当なんだろうと思われがちだが、意外に細かなところに拘ることがある。
    たとえばいまこの文章は「Jedit」というエディターで書いているんだが、ファイルを開く位置とそのウインドのサイズは過去のファイルとまったく同じにしないと気が済まない。
    四角な桟敷を丸く掃くが基本だけど、拘るところには妙に拘ってしまう。だから以前、仕事をしていた職場ではよく A 型でしょと訊かれた。いや、血液型は B 型なんですけどね。血液型にどこまで意味があるかの議論はさておき、この妙なところに拘るのが B 型なんじゃないかとも思っている。

    杓子定規なところがあるわけだ。たとえば料理でもそうだ。独りものだということはすでにご存知だろうが、だから自分で料理をすることになる。ほぼ毎食自炊だ。
    でね、たまにはちょっと手の込んだ料理をなんて思ったら、これがいけない。なにがいけないかというとレシピ通りに作りたくなってしまうのだ。たとえば調味料の量なんかがそうだ。その昔、まだ奥さんや子どもたちがいた頃でもちょくちょく料理をしていて、一時期は担々麺がどうしても作りたくなって、豆板醤に甜麺醤を探し求めて、これといった麺も探して作ったことがあった。
    てきとうにこんな味でいいじゃんということができなかったのだ。

    ところが独り暮らしになるとそうもいってられない。だいたいが調味料だ。ちゃんとした家庭なら塩・砂糖・醤油にサラダ油はもちろんのことみりんに料理酒、酢、だしの素とかコンソメの素なんてものはひと通り揃っているだろう。でもね、独り暮らしだとこれがいつ使うか判らない調味料なんて揃えてられないのよ。小麦粉とか片栗粉だってそうだ。
    食料品には賞味期限ってものもあるし、揃えた調味料はもちろん食材だっていつ使い切れるかどうかも怪しい。

    ではどうなるかというとここは拘りを捨てて「てきとう」にやるしかなくなるわけだ。まずご飯ね。逗子に戻ってからというもの炊飯器で炊くということがなくなった。だいたい一合炊いたとして、きちんと食べきることがあるかどうか。ということで、いきおいパックのご飯に頼ることになる。これが使ってみると便利なんだよね。
    こうなると手を抜けるところは徹底的に手を抜くようになる。調味料は揃えずに「めんつゆ」をベースになんとか作ることになる。やってみるとこれがね、意外にいい感じで作れちゃうんだよね。

    でも、いままではこれが限界だった。どういうことかというと、パスタは市販のパスタソースで食べることになるんだが、パスタソースはパスタのためということしか頭になかった。
    でもね、考えてみたらパスタソースだってそうだけど、これって調理されたソースじゃない。レトルトのカレーだって、ご飯にかけるだけてなく、パスタにかけてもいいんだよね。ということは、パスタソースを別の料理に利用してもいいわけだ。

    ということでこの前に日曜日のことだけど鶏モモと茄子を焼いて、これにパスタソース「ポモドーロ」をぶっかけて、ちょっと煮てみた。自称「鶏モモのカチャトーラ風」だ。
    カチャトーラって肉と野菜、どうやらメインはたまねぎとかハーブ、ピーマンらしいんだけど、それで作るわけだけどそんなことはどうでもいいじゃない。この日は鶏モモはともかくとして、茄子が食べたかったのだ。それもトマトソースベースの味でね。

    なんて偉そうなこと書いちゃったけど、いまぼくが気に入っているパスタソース「予約でいっぱいの店」の Web サイトにアレンジレシピってことで紹介されていたからチャレンジしてみたんだけどね。
    でもこれが美味しかったんだよ。
    なんだかいい意味で箍が外れてきたような気がする。そうなんだよ、料理っててきとうに作ればいいんだよね。美味しければそれが正義なのだ。
    いや、たまには失敗することもあるけどね。
    工夫次第でなんでも作れるってことだよな。ということで、これからもまず食べたい食材を考えて、どう料理するか考えればいいってことだね。

    しかし、せめてみりんぐらいは揃えてもいいのかな。

One Reply to “調味料をあれこれ揃えなくても、料理ってできちゃうよね”

  1. […]     前にも手抜き料理について紹介したと思う。だいたい三食三食きちんと家族のために料理をするならまた話も違ってくるんだろうけど、ぼくみたいな生活をしていると […]

コメントを残す