どうやら家にいたくないのは、もしかしたら独りが寂しいのかもしれないな


    これはもうすでにご存知だと思うが、基本的にはほぼ毎日、午後には海へ散歩に出かけている。
    とくになにをするわけではない。体調のこともあるんだが、去年からは海へ出ることも控えているので、海をぼんやりと眺めて過ごすことがほとんどだ。
    Mune という Bluetooth スピーカーで音楽を流しながら、陽射しを浴びてぼんやりとするわけだ。これが至福の時間ではあるんだが、よくよく考えてみると、その昔ぼくはどちらかというと家に籠もってあれこれ仕事をすることがほとんどだった。そうなんだよ、ときには丸二日家から一歩も外に出ないとかね、そんなことがざらだった。

    確かに逗子へ引っ越したということも大きなひとつの理由だろう。なにしろそこには海があるわけだから。海ってただ眺めているだけで何時間も過ごすことができる偉大な存在なんだよねぇ。
    それだけじゃなくて家に一日籠もっているのがどうやら嫌らしい。
    この感覚が、じつはぼくにとってはちょっとした驚きなんだよね。
    ただなぜこういう感覚が湧きあがるようになったのか、わけが解らずちょっと途惑ってもいる。だって昔は家にいるときは、ほんとうにまったくといっていいほど出歩くことが少なかったからね。
    ということで潮風に吹かれながら波打ち際を歩きながら、なぜに家にいたくないのか考えてはみるんだが、その明確な答えを出せずにいる。なぜなんだろうねぇ ?

    いまはこころのアンテナが外を向いているからということもあるかもしれないけど、じつはそれまで内向きでいたときもやはり同じだったんだよね。
    だとしたらなに ?
    あっ、そうかと思ったのが独りだからということだ。そうなんだよ独りなんだ。独りってどういうことかというと、どこにいてもだれかと話をするということがほとんどない。
    これってじつは凄いことなんだよ。なにが凄いって、たまに喋っても声がおかしいんだよね。きっと以前はなにもなくてもだれかと話をしていたんだと思う。ところが独りっきりになって話すこともなくなったので、声帯の周りの筋肉が衰えたみたいなんだよねぇ。
    そんなこと考えたことある ? たまには話をすると、以前のぼくの声とはまったく違う声になっていて驚いてしまうことがあるんだよねぇ。だからといって独りごとをぶつぶつ呟いて過ごすってのはおかしいでしょ ?

    きっとね、だれかがそばにいてくれたら、こうやって家にいたくないなんて思うこともなくなるんじゃないかと、じつは睨んでいる。
    まぁ、敢えていうと、こんないい歳していてなんだよと思われるかもしれないけど、どうやら恋がしたいみたいなんだよねぇ。
    だからといって、出逢う機会なんてまるでない。これは哀しい事実だ。
そうか、独りっきりの寂しさを紛らわせたくて、もしかしたら家にいたくないのかもしれないなぁ。

    しかし、それはそれでちょっとねぇ。どうなんでしょうかねぇ。
    こんなぼくと、まずは話友だちになりますよ、なんて心優しい人はいないだろうしなぁ。
    それでも石井ゆかりさんの星占いによると、ぼくにとって今年は「出会い」の年らしいんだよね。なんていいながら、今年ももう 1/3 が終わっちゃったけど、その気配すらない。
    そうか、やっぱり今年も独りの年なのかな。ちと、寂しいなぁ。

コメントを残す