老人と海 物語を語るときのその文体の素晴らしさ 読書メモ


    今年の 3 冊目。アーネスト・ヘミングウェイ 著 高見 浩 訳「老人と海」読了。

    アメリカ文学の金字塔のひとつといっていいだろう。知らない人はいないというほど有名な作品だ。
    にもかかわらず白状してしまうが、ぼくはこれをきちんと読んだことがなかった。まことにお恥ずかしい限りである。高校の頃に確か手に取ったことがあったが読了することはなかった。当時のぼくは、というかいまもかな、相当な天の邪鬼だったので、あまりにも有名で読む気が失せたということもあるかもしれない。

    ただヘミングウェイの文体については、きちんとこの眼で確かめたいという思いはず〜っとあった。いわゆるハードボイルドな文体なるものがどういうものなのか知りたいという考えていたのだ。しかし、文体そのものを確かめるためには原語できちんと読まなければいけないと思い込んでいたこともある。
    でも筒井康隆氏がこの簡潔な文体を標榜していたという話を彼の著作を読みはじめたころに知り、いつかはという考えはあった。それでやっと読むことになったわけだ。レイモンド・カーヴァーを読み直して改めてこれはきちんとヘミングウェイと向かい合わなきゃと思ったことも確かだ。

「漁師は老いていた」この書き出しがすべてといっていいだろう。
    内面描写を排して外面描写に徹した簡潔な文体。それがヘミングウェイのハードボイルドな文体だ。英語だと「and」の使用頻度が非常に多いということもあるらしい。
    ただ「老人と海」を読むと解るが、内面描写もきちんとしている。そのバランスがこの作品では絶妙なのかもしれない。

    ストーリーはとてもシンプルだ。八十四日間も不漁が続いた老漁師が大物を釣り上げたが、しかし。という展開だ。実際に似たような話があり、彼はそれを「エスクァイア」にエッセイとして発表している。それを作品として仕上げたわけだ。
    なぜそのシンプルな話がここまで心を動かすのかということだね。
    それについては、読んだ人がそれぞれ考えるべきことなんだろう。

    この文庫には訳者である高見浩氏の解説と特別な用語などを説明した翻訳メモと、ヘミングウェイの年譜が巻末に掲載されている。これはこれでこの作品はもちろんだが、ヘミングウェイその人を理解するための大いなる手助けとなる。
    それも含めてだけど、翻訳物っていうのは一冊の本として考えるといろいろなスタイルがあるんだなと考えさせてくれる。
    個人的には訳者の癖は表に出るべきではないと思っている。まぁ、それはどういうことかというと改めて別の機会に書くとしよう。

    じっくりと作品を味わう喜びを、この本がぼくに与えてくれたことは確かだ。


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