「物語」はストーリーの積み重ねではなくて 第十六話「蜉」その 2 を NOTE 公開


    ものがたり屋の松谷高明です。
    第十六話のその 2 をNOTE で公開しました。
    これは三月の終わりごろからかな、考えだしたのは。なにかというと「ストーリー」と「物語」の違いです。きっかけは毎晩観ている映画からなんだけど、どんなにエピソードを重ねてストーリーを展開しても、それだけでは「物語」にはならないよなぁということです。
    とあるテレビ映画を観ていて感じたことなんだけど、イギリスの歴史的な双子のギャング兄弟を描いていて、これでもかとエピソードが展開していくんだけど、なんだか感じるものがなかったんですよね。知ってます ? クレイ兄弟。この双子の兄弟がのし上がっていき、捕まるまでが前後編で語られるんだけど、なんだかまるで履歴をただその時間軸にそって展開しているだけのような気がして、なにも伝わってこないことに気がついたんですよね。
    ああ、ストーリーと「物語」って違うんだと。

    だから書いてみたのが第十四話の「朏」だったわけです。わざと次元をぱらばらにしてモザイクのような展開にしてみました。これでなにが伝わるのか。ぼくとしては実験だったんですね。第十五話の「蟲」もそうです。具体的なストーリーを重ねていき、広げた風呂敷を畳むような展開ではなくて、ただそこにある事象を描くことで「物語」にならないか試してみたかったんです。
    これは残念なことに他の人からの反応を知ることができないので、ぼく自身があれこれ藻掻きながら考えるしかないんですけど、どうなのかな。

    ということで第十六話の「蜉」もやはりその路線なんですね。怪しい雰囲気だけをまるで重ね塗りしていくような形で「物語」になるのかどうかを試しています。もちろんちょっとしたエピソードは必要です。それはなにかを動かすためのきっかけといっていいかな。でも基本的には雰囲気の重ね塗りなんですね。
    それで「物語」にすることができるのか。それがいま考えていることなんです。
    ということで「蜉」が「物語」になっているのかどうか、ぜひご一読をお願いします。いつものように、NOTE で公開しています。できたら感想を聞かせてもらえると嬉しいんですけどね。ぜひ、よろしくお願いしますね。

    うっかり閉め忘れた襖の影、街灯の届かないひっそりとした暗がり、朽ちかけている家の裏庭、築地塀に空いた穴の奥。
    気づかなかった身のまわりにある、隙間のような闇に、もしかしたらなにかが潜んでいるかもしれない……。

    季節を間違ったんじゃないかというほど暖かい日の午後。麻美が田越川沿いを歩いて帰ろうとすると、河原で遊んでいる子どもたちがいた。その中のひとりがいつの間にか姿を消し、残った子たちが探したが見つかることはなかった。
    その翌日、麻美はまた朝靄が立ちこめる早朝の田越川沿いを散歩する。また老婆にあったが、そのとき朝靄の中に子ども影を見る。けれど、老婆はなにもなかったかのように振る舞うのだった……。
    ぜひ、お楽しみに。

    せっかくだから、読んだら「スキ」をしてくれると嬉しいです。
    ちなみに投げ銭もできます。文末の「サポートをする」をクリックすると、100 円からサポートできます。
    無料での公開なので、ぜひ協力お願いします。

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One Reply to “「物語」はストーリーの積み重ねではなくて 第十六話「蜉」その 2 を NOTE 公開”

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