権力と権威の分離と対立 鎌倉時代はどうして崩壊したんだろうね


    戦国時代がどんな時代だったのかをきちんと感じ取ることができるように、あれこれ考えていて、つらつらと鎌倉時代からぼくなりにまとめ直している。
    なぜかというと、これはもうかなり昔のことになるんだが井沢元彦氏の「逆説の日本史」の第一巻を読んだときに気づかされたことでもあるんだが、歴史を見るときに、いまの常識で見てしまうことがほとんどだからだ。
    ごくあたり前のことだからと深く考えずに、その時代のことを見てしまうが、ほんとうにそうなのかということだ。

    これは例をあげれば枚挙に暇がないんだが、戦国時代に織田信長はたとえば本願寺と血みどろの戦いをした。いまの感覚でいえば宗教弾圧かと思ってしまうんだが、まったく違う。この時代の宗教組織は僧兵を抱えた立派な戦闘集団だったのだ。調べてみればすぐに解るが、室的時代には法華一揆といわれる宗派間の激しい争いがあった。この争いで京は大火に襲われその被害はなんと応仁の乱を上回るものだったのだ。

    これは鎌倉時代でもいえることがある。
    鎌倉幕府が成立して武士たちが望んだことは、なによりも土地の支配権を公に認めてもらいたいということであった。いろいろと調べてみると解るんだが、この時代の武士たちの絶対の願望でもあったわけだ。頼朝の一族が三代で断たれたのも、これが根本的な理由ではないかという話もある。詳しく書いていくと長くなるので、これはまたいずれね。
    そんな鎌倉時代にあって大和の地を所領した武士はいなかった。なぜか。ほとんどが寺社の荘園だったからだ。この時代、武士はまだ寺社の領域を侵食することができなかったのだ。僧兵が守っていたからだ。

    いまの感覚でいうと意外なんだが、時代によって価値観というのは大きく変わるし、またそのときの常識も大きく変わるわけだ。そのことをきちんと踏まえてその時代を見ないときちんとその歴史を見たことにはならない。
    ということをぼくは学校でいっさい学んだことがなかったんだよね。残念なことに。まぁ、いいか。

    前回までいろいろと武家政権のはじめということで鎌倉幕府を見てきたんだが、やはり押さえておかなければいけないことが、なぜ鎌倉幕府は滅んだのかということだ。
    鎌倉時代がはじまって、日本ではなにか起こったのかというと権力と権威が分けられたとしいうことになるんだろう。
    武士が表舞台に登場したことで、武力による権力の誇示ということがあたり前のことになった。承久の乱 ( 竹田恒靖氏によれば承久の変だが ) でも明らかだが、後鳥羽上皇が鎌倉勢を倒すために頼ったのが、鎌倉勢に不満を持つ武士たちだった。自前の武力じゃないんだよね。
    朝廷は自ら武力を持たず、武士に頼ったということが、武家政権が続く原因になったわけだ。

    ということで、では鎌倉幕府に対して武士の多くがなぜ不満を持つようになったのかということが問題になるわけだが、もしかするとそのきっかけは元寇だったかもしれない。
    日本が変わるときって外圧が原因になることがあるんだよね。
    元寇が原因でどうなったのか。
    それをきちとまとめたかったんだが、どうもいまのところぼんやりとした理由しか解っていない。
    このあたりは申し訳ないが、もうちょっと時間をかけて考えたい。ということで、つづくってことですな。

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