友だち申請がこんなに嬉しいとはね だから勝手に宣言しよう小説家だと


    小説家だと胸を張っていえる立場にはない。毎日、原稿を書いて、作品を販売はしているけれど、それは個人的に Kindle 版だけなので、広く一般に知られている作品とはいえない。ということで、せいぜいが作家の真似事をしているという範疇だろう。
    Kindle 版は先週販売を開始した「ロングボーダーの憂鬱」を含めて、五作で累計の DL 数は 6,400 近くになる。それでもやっぱり胸張って作家とはいえないし、もちろん小説家とも口が裂けてもいえないだろう。

    でもこの DL 数はやはりこころの支えにもなっている。ぼくの作品を、まったく見ず知らずの人たちがこんなに多く DL して読んでくれているのだと思うと、背筋を伸ばして、作品とは向き合わなきゃいけないという気にさせてくれる。だから世間的にはどう呼ばれようと、ぼく自身は小説家だと思うようにしている。

    Amazon Kindle がメインなので直接読者の人と接することはまったくないといっていい。ただ、例外があることも確かだ。
    これは去年のことだけど「ロングボーダーの憂鬱」の ePub 版を販売したときに、全話を購入してくれた人に逗子海岸で声をかけられたことがあった。これはとても嬉しかった。
    ぼくの作品を読んでくれた人がここにいるんだという実感を持つことができた。しかも、ぼくと同じように SUP を楽しんでいる人だった。そんな偶然ってそうそうないだろうと思っていたんだが、じつは昨日、とても嬉しいことがあった。

    Facebook の友だち申請があったんだが、ぼくの「腸をなくした男」を買ってくれて、それで申請してくれたのだ。
    こういう繋がりができるというのは、ほんとうに嬉しいものだ。
    作品を販売しているといっても、その作品についてだれにも語られないというのは、こうなってみるととても淋しいということが判る。もちろん褒めてもらえばきっと天にも昇るような気になるだろうし、貶されれば逆に地獄に突き落とされたような気になるだろう。
    でも、一番堪えるのは無視されることだ。そう、どこのだれからもなにもいわれないというが、じんわりと効く。

「愛の反対は憎しみではない、無関心だ」とはマザー・テレサの名言だが、確かにそうなんだよね。
    いまさら「やれ文学だ」とか「小説の本質は」なんて議論をしたいとは思わないけど、それがどんな拙い言葉であっても、ぼくの作品について語られることがあれば、やはりこれに勝る喜びはないという気がしている。

    いまはその言葉の代わりとして DL 数だけというのが、ちょっと淋しいところではある。
    もちろん、声をかけてもらったことも、友だち申請をしてもらえたことも、じつに誇らしいことだと思っているし、こんな喜びがあるのかとはじめて知ったことも確かだ。
    だからやっぱりどんな声でもいいから、ぼくに発信してくれる人がいたら、これに勝る無上の喜びはないといっていいだろう。

    そんなことを考えながら、今日も原稿に向かっている。だって、ぼくは小説家だから。


    

One Reply to “友だち申請がこんなに嬉しいとはね だから勝手に宣言しよう小説家だと”

  1. […] あるのかといわれると、自分自身でも首を捻らざるを得ない。     これは前にも書いたけど、いまさら胸を張って小説家でございますという気はないんだが、さりとてぼく […]

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