それはそれは見窄らしいハゲ頭なんだけど、これがいまのぼくだからね

    ここまで長く生きてきたんだが、そこまで外見を気にすることはなかった。そういえば高校に入った頃はちょっと髪型が気になったかもしれない。けれど、それ以降そこまで気にした覚えはないかな。好んで見窄らしい恰好をしなければ、それでいいと思っていた。いや、いまでもそうかな。
    ときどきじろりと顔を見つめられることがあるんだが、まあそんなこともあるかと受け流していた。

    ただこの武漢ウイルス騒動以降、マスク着用が半ば常識のような状況になって、この視線が気になることはあったかな。ほら、ぼくは基本的にマスクしないで歩いているからだ。三密状態のところではエチケット上マスクするけど、道路って三密じゃないからね。
    ところがここ数日なんだが、この視線の先がどうもぼくの頭部に集中しているような気がしてならない。

    これは先週この blog で書いたんだけど、抗癌剤の副作用が突然やってきていきなり髪が抜けはじめてしまった。あまりにも脱毛が凄いので、まず 3mm カットの丸坊主にした。ところがそんなことで抜け毛が止まるはずはない。
    なにせ抗癌剤は分裂が活発な細胞に強く影響するようになっていて、そのせいで毛母細胞がやられてしまうからだ。だから、もう抜ける抜ける。しかもこれが綺麗に抜けてくれればいいんだが、そうは問屋が卸さない。もうバラバラにしかも適当に抜けていってしまうので、ところどころ髪が残る無残なハゲ山状態になってしまうわけだ。

    ということで、どうもぼくのハゲ頭を見て、ギョッとしているらしい。
    いや、それはそれでいいんだけどね。だって事実だから。
    そこで思ったんだが、この視線をさらっと受け流すことができるってのは、それはそれでいいことじゃないかと。

    外見を気にすることはなかったとはいったけど、やはりまったく気にならなかったといえばちょっとだけ嘘になる。やはり視線は視線だ。そこになにかあるんじゃないかと、ふと気になることはあった。でも意識して気にしないようにしていたような感じがする。
    そう、ちょっと無理してたかも、ということだ。

    でも昨日も買い物へいく途中で、やはりじろりと道ですれ違ったおばちゃんに見つめられたんだが、まったく気にならなかった。ああ、この頭かといった程度。
    実際に見てもらえば判るけど、いまのぼくの頭はそれはそれは見窄らしい状態になっている。それでもこれがいまのぼくなんだよねといった感じだ。なんだかちょっとこころの持ち方が変わったかなと思ったわけだ。

    ありのままの自分でいいじゃないと素直に思えるようになった気がする。いままではそういう気持ちになろうとちょっと無理していたところがあったみたいなんだけどね。
    ということで、できたら綺麗にハゲてくれればいいなぁとは願っているんだが、それはそれでかなり遠い道のような気がする。

    まずはジェイソン・ステイサム級のハゲになるべく、せっせと頭を撫でている。
    撫でるたびに、髪が抜けてくれるからね。

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