平氏と平家って違うんだよね 鎌倉幕府に協力した平氏もいたわけだし


    武士が生まれた過程について、前につらつら考えてみたわけだが、それではその武士がいつ独自の政権を樹立したのかというと、どうやら世間的には平氏政権からということになっているようだ。
    なんてね、学説をひとつひとつ検討できるような立場ではないんだが、個人的にはそれについては大いに疑問だと考えている。
    というのも、武家としてはじめて太政大臣に任じられて政権を獲得したことは確かだが、しかしその政権運営はそれまでに続けられてきたいわゆる摂関政治とは大きな違いはなかったからだ。

    平清盛とその一族が官位を独占して、他の武家に対しての特段の施政はなかったしねぇ。その一族を平家と呼ぶんだが、「平家にあらずんば人にあらず」という言葉に象徴されている。実際に平家物語に書かれているのは「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」ということで、そこまで人を見下した意味ではなくて「官位にたとえ就いても出世はできないよ」といった意味らしい。

    まぁ、どっちにせよ平家だけが繁栄すればいいと考えていたんじゃないのか。世の中をどうするのかといった考えはこの政権にはなかったし、武士だからこその政権ではなかったことは確かだろう。
    ということで鎌倉幕府はこの平氏政権のアンチテーゼというか、アウフヘーベンというか、反面教師として自ら独自の政権を組み立てたといえるかな。

    さて、平氏と源氏ってのはよく比較されるんだが、そもそもどちらも臣籍降下で賜姓を受けている。どうも源平合戦が有名で、源氏全体と平氏全体が戦ったようなイメージがあるけど、ってそれはぼくだけかもしれないけど、これは正確ではない。
    どっちかというと平家 vs ほかの武士といった方がいいかな。平家はそもそもどういう家かというと、遡れば桓武天皇にいきつく。その葛原親王三男の高見王の子・高望王が賜姓を受けたのがはじまりだ。その流れのひとつが伊勢平氏で、清盛はこの一族だ。西国の国司を歴任して瀬戸内海や九州を中心に勢力を固めていった。だからなんだが、武家としてはめずらしくシーパワーを掌握していた。
    これは源氏とはまったく違う点だね。いや、以降の武家政権といってもいいかな。日本って海に囲まれた国なのに、この点は大変興味深いものがある。ときの政権がシーパワーを活用することはなかったんだよね、武士が担っている時代には。

    さてそれ以外に平氏はいないのかというと、同じ高望王の系統で有名なのが平将門だ。上総や常陸、下総をベースとして勢力を拡大したのが板東平氏で、将門もその中のひとりだ。さらには、三浦氏・土肥氏・秩父氏・千葉氏なんかが有名だが、それぞれ頼朝とともに鎌倉幕府設立に尽力している。そう、平氏なのに頼朝に加勢したわけだね。
    そもそも鎌倉幕府の執権として実権を握った北条もこの板東平氏だしね。

    では頼朝はというと、こちらは清和源氏だ。賜姓源氏はかなり多いんだが、この清和源氏は多くの武家がいて、頼朝が幕府を樹立したことから清和源氏は武家の棟梁の家柄とされている。足利氏も清和源氏だ。ちなみに徳川氏は清和源氏系の河内源氏の血を引いていると称している。この称しているってところがミソだね。

    織田信長の織田氏は伊勢平氏の流れを組むといわれていたけど、かなり疑問らしい。織田信長本人は熱田神宮に寄進した絵巻には藤原織田勘十郎と記しているんだそうだ。まぁ、時代があとになればなるほど、その家柄を称するってことなのかな。

    そもそもの武士のはじまりが警護を担当した下級公家がスタートということだったからなのか、家柄ということにはそれなりの拘りがあったかもしれないね。

One Reply to “平氏と平家って違うんだよね 鎌倉幕府に協力した平氏もいたわけだし”

  1. […]     なんだか間が開いちゃったけど、ぼくなりに「武士」とか、その背景についてつらつら考えるってことは、相変わらず続けている。     武士の成立からはじめて、前回は「平家」と「源氏」についてちょっと書いたんだけど、今回は武士の政権ってのはどんな政治をしたのかをちょっと考えてみたい。というか、いろいろと見聞きしたことをまとめるって感じですかね。 […]

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