海をぼんやりとながめながら 日本人としての感覚を考えてみた

    ときどき海をぼんやりと眺めることがある。そんなときはいろいろな考えが浮かんでは消えていく。
    大したことではないんだが、さりとてとてもつまらないことでもなく、ときには思いもかけないことが、ふっと頭に浮かび上がってくる。
    たとえば正月だと、日本人はどうしても神社とは切っても切れない季節だといえるかな。ぼく自身は朔日参りということで毎月お参りしているんだが、正月ということで日本人のほとんどが神社にいく。この宗教観ってのはたぶん日本人だけだろう。

    根本的な話をすると、端的には一神教は神がこの世のすべてを創りだした存在として考えられている。宇宙そのものも神が創りだしたものとされているわけだ。
    ところが日本は違う。宇宙ははじめから存在していて、そこに神が産み出されている。この違いって、じつはまったく意識していなかったんだが、竹田恒靖氏の著作「天皇の国史」ではじめて教えられた。
    そうやって考えてみると、日本人の宗教観が独特なのがなんとなく納得できてしまう。

    ぼく自身もやはりどこかで八百万の神という感覚をそのまま受け入れている。なぜなんだろうというその理由が、はじめに宇宙があって、神があとから生まれてからだろう。
    だから日本人は自然のものすべてに神の存在を感じることになるんだろう。もしかするとこれが日本人の死生観にも通じているのかもしれない。いや、ちょっと強引かもしれないけど、ぼく自身はやはり繋がりを感じることは確かなのだ。

    仏教的な考え方も混じっているんだろうけど、やはり神道的な感覚がベースになっている気がする。先祖を大切にするという感覚だ。
    いきなりぼくが産まれたわけではなく、やはり遙か昔からの繋がりがぼくをこの世に誕生させたんだろうという朧気な感覚といっていいかな。そんなものをぼくはどこかで信じていて、それをベースとしてこの世界を見ているはずだ。
    人の繋がり。積み上げられてきた歴史といってもいいけど、そんな大仰なものでなく、ただ人としての繋がり。それが大切なことなのかな。

    なんてことを、海を眺めながらぼんやりと考えてしまった。
    どこかで海とか風とかいろいろな神様がいることを感じながらなんだけどね。


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