判っていたことではあるけれど、ネットがないと生きていけないよね


    ちょっとした行き違いでじつはネットが使えなくなっていた。といっても数時間のことだったんだが、大変だった。
    いまどんな生活をしているのかというと、あたりまえだが起きるとまずは iMac のスリープを解除して、Facebook の投稿をざっとチェックして、YouTube でてきとうにコンテンツを流し見することになる。その合間にはメールをチェックして、ということで、すべてネットが繋がっていないとできないことだ。

    朝食が終わると、MacBook Air を開いて、日記の整理ということになる。このときもじつは iPad で YouTube のコンテンツをてきとうに流している。とくに巨人が勝った翌日はスポーツニュースをだらだら見ながら日記を整理して、blog 書きもしている。
    まぁ、よくそんな状況で集中できているものだと我ながら呆れるんだが、ほとんど右から左へ流れていき、ここだというときだけ反応して、画面をじっくり見ることになる。
    このときは、じつはそのスポーツニュースを見ている最中に、画面が固まり、ぐるぐるがはじまって、おやっと思い、確認してみたら、ネットが繋がらなくなっていたわけだ。

    たとえば原稿書きなんかは、じつはネットに繋がっていなくてもできる。できるんだが、原稿書きは Apple Music で音楽を流しながらでないと、キーをタイプする気になれなくなってしまっている。これはいけないことだよなぁ。
    というのも、その昔は、確かに仕事中はてきとうに流すことが習慣になっていたけれど、最初は CD だった。日本語が耳から入ってくると、日本語を書くのに支障を来すので、それを考慮してチョイスしていたんだが、もともと洋楽がメインだったので、それはそれでよかったんだが、いつからかこれがリッピングしたデータに変わった。
    そして気がつくとこれが Apple Music に変わっていたわけだ。でも、これはネットが繋がっていないと駄目なんだよね。あたりまえだけど。

    ということで、YouTube も見られないし、Apple Music も聴けなくなってしまった。ネットが繋がらなくなって、部屋の中が静まりかえってしまったわけだ。
    静まりかえると、なんだか落ち着かない。おかしいなものだよな。子どものころは、静かな環境で勉強なんかしていたわけだからね。
    おかげで一日のリズムが崩れてしまった。

    あたりまえにできていたことができなくなると生活そのものが崩れてしまうんだねぇ。
それがいいことなのかどうなのか。
    まぁ、気がついたら習慣になっていて、いったん習慣になったものは、なかなか元に戻すことができないということだよね。

    でも、これはこれでいい方向付けに利用することもできるはずだ。
    そうか、それをちょっと真剣に考えてみるかな。

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