戦略と戦術って、ゲームの世界の話ではなくて 現実でも大切なのかな


    最近、なにかあると、ふっと思い浮かぶ言葉がある。それが「戦略」と「戦術」だ。
    たとえばニュースを見ているとき、そのできごとそのものはもちろんだが、その解説にしても、それはきちんと「戦略」と「戦術」をきちんと分けて考えているだろうかと思ってしまうのだ。
    たとえばアメリカだと、五月末に「米国の中国に対する戦略的アプローチ」と題する更新文書が公開されているけど、ここで今後のアメリカの国家としての戦略が書かれている。これに基づいていろいろなオペレーションが実行されるんだが、それが戦術ということになる。
    ちょっと話が変わるけど、この文書ではアメリカは中国のことを四十年間見誤っていたと公式に認めているところが、まことに興味深い。間違ってました、って認めちゃうんだよね、アメリカは。そこは凄いところだわ。

    ここをごちゃごちゃにしてものごとを捉えると、どうもよろしくないのではないかと、このところ思いはじめているのだ。
    戦略の話をしなければいけないところで、戦術を持ち出すとどうしても話が矮小化してしまい、本質的な議論にならなくなっちゃうわけだ。

    どういうことかというと、たとえば日本は専守防衛を掲げているけれど、それを実現する戦術としてミサイル防衛が論じられている。
    固い話になっちゃうけど専守防衛をするためには抑止力が必要なんだが、この抑止力、拒否的抑止力なのかそれとも懲罰的抑止力のどちらを国としては採用するのかということが大切になってくる。その議論をすべきなのが国会議員の方たちのはずなのだ。
    その戦略を実現を実現するためにはどの戦術が最適なのかを決めるのはあくまでも現場であるべきなんだよね。どのミサイルがいいとか、どういう体制が最適なのかってことは、あたりまえだけど現場が一番解っているわけだから。
    それをなぜかごちゃごちゃにして国会で話をするから、どうしてもすべて矮小化されて、議論にならなくなっちゃうのだ。
    って、いうか、議論として成立させないことが目的なのかな。なんてね、思っちゃう。

    それはさておき、もうちょっとスケールダウンして、個人の視点に落とし込むことができるんじゃないかと、いま思っているわけだ。
    なんかちょっと大袈裟ないい方になるけど、人生の戦略ということかな。
    そんなことを、この歳になってようやく考えられるようになってきたのだ。いやなに、人生において遅すぎるということは、まったくないのだ。

    まぁ、問題はそれをきちんと分析して、考えられるだけの知能がぼくにあるかということになっちゃうのかな。
    それはそれで、どうしたものかということになっちゃうのか。ふむ。

One Reply to “戦略と戦術って、ゲームの世界の話ではなくて 現実でも大切なのかな”

  1. […]     かなり前に「戦略と戦術」について書いたことがあったけど、じつはあれからない頭を捻っていろいろと考えている。     まぁ、主に仕事ベースでという […]

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