ぼくが撮る写真はいったいなんなのだろう iPhone で撮る写真

    どうやらぼくはどこまでも「書く人」のようだ。
    これは昔から感じていたことだけど、たとえば「いまの気持ち」を感じたそのまま受け取るということができない。どうしてもその「いまの気持ち」を言語化して、言葉として頭で理解しないと受け取ることができないのだ。なんともまぁ、厄介というか、しちめんどくさいといえばいいんだろうか。
    だから「芸術は爆発だ」などというきっと根本的なアートとこころの動きを表現した岡本太郎の言葉を解ってはいても、ぼくにはその「爆発」をそのまま感じ取ることができないわけだ。

    この前、やっと公開できるようになった iPhone 用のアプリ「ふらっと逗子」では、ぼくの写真がじつはメインのコンテンツになっている。毎日、ぼくが撮る写真が積み重なって、逗子の素顔を浮かび上がらせることができたら、なんて思っている。
    だから毎日せっせと逗子の街を歩いては iPhone で写真を撮っている。じつはこれは 2018 年に NOTE で夕焼けの写真を公開しようと思い立ったときに決めたことなんだが、しばらく写真は iPhone オンリーで撮ることにした。
    なぜなのか、といえば、なぜだろう ?

    きっとカメラがどうのといったことではなくて、ぼくが撮る「写真」はなんなのだろうということを突きつめてみたかったからなのかもしれない。「写真」というものをこういう形で改めて考えるようになったのは、ぼく自身が書いた小説「夏海と拓海」が直接的なきっかけになっていると思われる。
    主人公のひとり「夏海」はカメラマンだった亡き父の写真集を改めて観ることで、撮るということの意味を自分の中で探しはじめる。セルフヌードを撮ったり、いろいろとチャレンジしていく。じつはまだこれは書いていないんだが「夏海と拓海 2」では、夏海と写真がもっともっと密接な関係になっていく。

    自分で書いた小説が、だからきっかけになっているように思う。
    夏海のことを書きながら、「ぼく自身」にとっての写真ってなんなのだろうと考え出したのだ。それを投影する形で夏海が撮ることの意味を探しはじめたんだと思う。

    ぼくが instagram や Facebook で公開している写真を観てくれていた友人が、ぼくの写真をコンテンツ化してアプリにしようと提案してくれたのは、だからとてもありがたいことだった。このアプリの話がなくても、毎日毎日、ぼくは iPhone で写真を撮っている。これはコンデジで風景を撮りだしたときからの習慣になっている。2008 年のことだ。それから一日一枚、かならず撮るようにしてきた。
    そうして写真を撮るたびに、きちんと意識はしていなかったけど、ぼくの中で疑問が湧いていたはずなのだ。
    ぼくにとって写真ってなんなのか、と。

    こうして blog を書いていて、その答えをなんとか言葉にしたいと思っているけど、どうやらまだそれは時期尚早のようだ。
    だからしばらくは、その答えを求めながらぼくは iPhone で写真を撮り続けるだろう。

    そんなぼくの写真を、ぜひ iPhone・iPad 用アプリ「ふらっと逗子」で観てほしい。
    できたらその感想を聞かせて欲しい。

    ぼくの写真が、あなたのこころになにか囁いていればいいんだけど。

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