耳を澄ませて どうしたらぼく自身の声をぼくが聴けるんだろう


    意識には「顕在意識」と「潜在意識」がある。もちろん自覚できるのは「顕在意識」だ。
    こうやって文章を書くときに、思考しているのは「顕在意識」だ。でも、こういった内容の文章を書こうという気にさせているのは、じつは「潜在意識」の方じゃないかと思っている。
    この区別はよく氷山なんかでたとえられている。海面に出ているのが「潜在意識」で、海中にあるのが「潜在意識」だ。きっとボリューム感もそのとおりなんだろう。

    大学で心理学を学んだくせに、このあたりのことをきちんと解っていないのは、やはりこの「心理学」という学問が、ぼくが学んでいたときにはあくまでも初歩的なものでしかなかったということなんだろう。
    あるいは人の心の中というのはとても複雑で、いまだにきちんと解明できないところが多いということなのかもしれない。前にもちょっと書いたけど「クオリア」の問題なんかは科学で証明することは不可能だからね。

    じつは今回、入院をしてしまったわけだけど、もしかするとぼくの「潜在意識」はずいぶん前からアラートを上げていたんじゃないかと思えて仕方ないのだ。でも、そのアラートをぼくの「顕在意識」がちゃんと掬いあげることができなかったから、強制的に入院させたんじゃないんだろうか。マジで、いまぼくはそう思っている。
    入院をして、身体を休めることもできたけど、じつはいろいろと考えたり、気づいたりしたことも多かった。だから、そう考えてしまうのかもしれない。

    だったら、もっと早くそのアラートなり、あるいは「潜在意識」の声に気づけばよかったのに。いま、マジで大いに反省をしているところだ。
    じゃあ、どうすればよかったのか。
    もっともっと自分のこころに訊けばよかったのだ。「いま、どうしたいのか」ということを。「いま、なにを考えているのか」ということを。ぼくの「潜在意識」を注視して、つねになにかあれば聴き取ることができるようにすればよかったのだ。
    いま、ぼくは真剣にそう考えている。

    今日の午後、ちょっといつもより早い時間に海へ散歩にいった。
    そして歩きながら、ぼくの「潜在意識」に問いかけてみた。「いま、なにがしたのか」と。もちろん、「潜在意識」の声は聞こえない。たとえ幻聴でもいいから聞こえるとよかったんだが、いまのぼくにはその声を聴くことはできない。
    だからといって、このまま聴くことを放棄したくはなかった。歩きながら、海を見ながら、そっと耳を澄ませて、自分自身がなにか発しないかを見守ってみた。もちろん、なにも反応はなかった。
    だけど、ちょっとだけ、いつもとは違う感覚になれたような気がしている。

    これを続けて、ぼくの「潜在意識」と対話できればと望んでいる。
    いつ、どうなるのかわからない。だけど、これからはいつも耳を澄ませていようと思う。

2 Replies to “耳を澄ませて どうしたらぼく自身の声をぼくが聴けるんだろう”

  1. […]     ぼくが自分自身の無意識の声を聴きたいと blog に書いたところ、友だちの岡本さんが勧めてくれた一冊だ。ぼくはすぐに書店へと出向いて購入した。      […]

  2. […] 自身の無意識と真っ正面から向かい合いたいと思ってしまったからだ。そのきっかけは先週の日曜日の blog に詳しい。     真意としては、ほんとうの自分自身をきちんと認識 […]

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