日にちも曜日もまるで溶け出したように 「いま」だけがここにはある


    曜日が意味をなさなくなってもうずいぶんになる。
    とはいえ、それは明確な意味で「休日」がどの曜日にも当て嵌まらなくなったということで、曜日ごとにやることは決めていたので、それなりに意識はしてきた。
    けれど病室に閉じ込められて、病院内はうろうろできるけど、自由に外を出歩くことができなくなって、病室のベッドがメインの居場所になってしまったわけだけど、曜日の感覚がぼやけてしまったように思う。
    今朝も眼が醒めて考えてみたが、今日が何日で何曜日なのか頭から溶けて流れ出したような感じなのだ。
    それは病院という特別な空間だけが持つ魔力のようなものかもしれない。

    そうなると、さてこれからなにをしようかとすぐに思いつくことがなかなか難しくなってしまう。そのまま横になってしまえば文字通りの夢の国にいけるわけだし、それを咎める人もいなければ、咎める理由もない。だって病院だから。
    そういう怠惰といってしまっていいと思うんだけど、空気に馴染んでしまうと、きっと退院してからの復帰に時間がかかるような気がして、ぼくはせっせとやることを思いついては、MacBook Air に向かってタイプしている。しかも大抵のことはできてしまうから始末に悪い。
    なんだか、とても貧乏性のような気もするなぁ。やれやれ。

    それでもなんとなくだけど、こころのどこかにジタバタしても仕方ないだろうという諦観にも似た感覚があって、ある意味、俎板の鯉状態でもある。
    いまやりたいことを、ただやる。
「いま」という感覚だけがとてもリアルに感じられて、これはこれでおもしろいものだと感心もしているのだ。
    いわゆる日常の生活をしていると、それこそ雑事が目の前に積み上がったり、襲いかかってくる厄災にちょっぴり怯えてみたり、あるいはやって来るかどうかも判らない未来にこころ踊らせてみたり、「いま」という感覚よりは、流れいく時間に溺れてしまうことがある。なんだか必死に流れに逆らって泳いでいるような、そんな空しさにも似た徒労感。そんな感覚を抱くことはない。
    じつは MacBook Air に向かってタイプをしていて、そのことに気がついた。

    こうやって日常とはまったく切り離された空間に身を置くことになって、はじめて解ったことなのかもしれない。
    もしかして、それを感じるために、ぼくはここにいるんだろうか ?
    まさか、そんなことはないとは思うけど、せっかくなんだから、この「いま」だけをただ考えていることができるこの日々をもうちょっとじっくり味わうのもいいかと、いまは歓迎しているところなのだ。

    でも、さっさと退院はしたいんだけどね。

One Reply to “日にちも曜日もまるで溶け出したように 「いま」だけがここにはある”

  1. […]     昨日は、ここには「いま」だけがあるなんてちょっと偉そうなことをいったけど、もしかしたらまったくその真意を解っていなかったかもしれない。      […]

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