厄災はまとめてやってくる では、吉報はどうなんだろう ?


    どうも厄災というのはまとめてやってくるようだ。
    それとも日が悪かったのか。昨日が 1/23 だったからなんだろか、1、2 の 3 とかけ声をかけて歩調を合わせるように、まとまってどっさりと、いま考えられるあらゆる厄災が降りかかってきた。
    こういうときにぼくがどういう反応をするのか、ということが今回、大変よくわかった。
拗ねちゃうのだ。やれやれ。

    あれこれ理屈をつけて自分をなんとか納得させようとするんだけど、その理屈がどう考えてもただ拗ねているだけだった。
    これがね、いままではよく解っていなかったのだ。頭がその厄災で空回りしちゃうからなんだろうねぇ。いろいろな理由をこじつけたりしてなんとか自分を納得させようとするんだけど、今回は、まぁタイミングがタイミングで、ほんとうにあらゆる厄災がどさっとそのまま降りかかってきたので、逆に冷静になれたのかもしれない。
    拗ねていた。

    そのときのお約束の口癖が「どうせ」だ。これが真っ先に出てくることはさすがに稀になってきていたんだけど、よくよく自分を問い詰めてみると、とどのつまりは「どうせ」というセリフにつながっていた。やれやれ。
    この「拗ね」をどうしたらいいのか。
    それがいまの課題だ。
    あ、その前にこの厄災をどうするのかってこともあったなぁ。ふむ。

    ただその場合は、これはたぶんなんともならないんだろうけど「奇跡」でも起こらない限り、このまとめて降りかかってきた厄災をなんとかする方法はない。
    だからもっと根本的な「拗ね」をどうするかを解決するのが、ちょっと遠回りにはなるんだろうけど、いま一番大切なことなんじゃないかと思っている。

    じゃ、どうするのか。
    まぁ、その原因を探るというのが王道なんだろうが、原因というのはだいたい相場が決まっていて、ご多分に漏れずぼくの場合もその相場通りの原因だろうと思われる。
    これはもう自分で自分をきちんと見ていきながら、解きほぐしていくしかないんだろう。その凝り固まったしこりとなった感情を。

    それができるのかどうか。やるしかないんだよね。

    でもなぁ、やっぱりこの厄災というやつもどうにかしないとね。
    さても、疲れることではあるなぁ。
    いまは、雨に打たれて凋れている花の気分なのだ。

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