人間至るところにあるのは、もしかしたらバンジージャンプなのかも


    ちょっとお恥ずかしい話だが「人間到る処青山あり」って子どもの頃、青山を剣山みたいなものかと勘違いしていて、確かに人生にはいろいろと危険があるもんなぁ、などと思っていたことがある。
    青山って死んで骨を埋めるところだ、とちゃんと知ったのはそれなりに成長してからだ。やれやれ。
    ぼくの希望としては遺灰をそのまま逗子の海に散骨して欲しいので、墓はいらないから、確かにどこでも死ねるということになるのか。

    このところ、いろいろな危機が襲ってきていて、まだそのすべてをクリアしたわけではないのだが、その最大の危機をいまいろいろな手できちんと解決しようとしているところだ。
    それで、とある人に先々週あたりからいろいろとメールを送っているんだが、これがいい返事が返ってこない。まぁ、それはある程度予想していたことでもあるし、だから手を変え品を変えしてメールを送っているんだけどね。
    でもまぁ、のれんに腕押し状態ではある。けれど、詰め将棋じゃないけど、それぞれのメールにちゃんと狙いがあって、あとちょっとで詰むだろうというところまで来ている。

    で、ふっと思ったのだ。人生の至る所にあるのはもしかしたら「バンジージャンプ」じゃないかって。
    このメールもそうなんだが、当たり障りのない内容では駄目なわけで、最終的にはちょっと荒っぽい解決方法にたぶんなるはずなんだが、その場合に、ぼく自身はどこまで覚悟があるのか、ということを見極める必要があることに気がついたからだ。
    下手したら総スカンを食っちゃうんじゃないかとか、やっぱりいろいろと拙いじゃないか、なんてね、雑念が湧くわけです。

    でもなにもぼくが詰めようとしている手をだれかに褒めてもらいたいわけでもないし、認めてもらいたいわけでもないということに、さっき気がついた。
    なにを気にしているのだ、という感じかな。
    ぼくがそうしたいから、そうするのであって、それ以上でもなければそれ以下でもない。

    お断りしたいのであれば、きちんとお断りをすればいいのだ。それで、その人から仕事が来なくなったらどうしようか、なんて悩んでもなんの解決にもならない。そもそもその人の仕事だから悩みの種になっているわけで、それをきっちり元から絶つことをぼくが望んでいるのであればそれでいいじゃないか。
    ということで、そうか、毎日毎日いろいろなことがあって、決断して、それってささやかなことかもしれないけど、いつもぼくはバンジージャンプしているんだなぁ、なんて思ってしまったのだ。

    そう大上段に構えて、あれこれ名分を立てないとできないことではなくて、自分が納得する形で決める。このミニバンジージャンプの繰り返しが人生じゃないかってね。
    きっとこの blog を書くことだって、だからバンジージャンプなんだ。
    どんな自分であろうと、それをどんどん晒しているわけだから。

One Reply to “人間至るところにあるのは、もしかしたらバンジージャンプなのかも”

  1. […]     どういうことなのかは昨日の blog を読んで推察してもらいたいのだが、とある仕事をひとつ断ることになった。実際に最終的に予想されていた結果通りになったわけだ […]

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