きっと逃げ先でしかなかった ぼくにとって「仕事」ってなんだろう 毎日が夏休み


    海バカの見本といってもらってもいいかもしれない。相変わらずほぼ毎日、海まで散歩している。
    バンジージャンプをしてから、午前中は物書きがメインだ。日記を整理して、blog を書いて、それから小説を書いている。午後は Web のメンテナンスなどがあればそれを片付けて海まで散歩している。
    いままでは海で撮る写真は趣味だったんだが、ある事情で、これが仕事になりつつある。海に限らず、その日逗子を歩いて気になった風景を写真に撮っている。そのほとんどはやっぱり海なんだけどね。

    じつは写真とテキストを表示する iPhone 用のアプリを作っている。といってもコードを書いているのは友だちだ。ぼくは写真を撮って、テキストを書いて、データをサイトにアップしている。今週の頭にはアプリについてもっときちんと公開できるかなと思っていたんだが、Apple からリジェクトを喰らって、修正したものを、再度提出したところだ。何度も書くけど、コードを書いているのはぼくの友だちなので、ぼくは毎日逗子を歩いて写真に撮っているだけだ。

    なんとも暢気なものだが、ともかくいままで趣味だったのが「仕事」になっている。
    そんな写真を撮っているときに、ふっと疑問が湧いてきた。いまのぼくにとって「仕事」っていったいなんなのだろうと。いま撮っている写真がそのまま金銭になるわけではない。多少は懐を潤すことがあるかもしれないけど、これだけで生計を立てるつもりではない。
    だとしたら、ぼくにとって「仕事」ってなんなのだろう。

    いろいろ流転してきたぼくだが、かなり早い時期から、いわゆる会社に出勤して、そこで仕事をするというスタイルから、自宅で Mac に向かって原稿を書いたりして生きてきた。だから、家族からたとえば出かける用事を頼まれても「仕事」してるからと断ったりしていた。

    なに、大したことはしているわけではない。だいたいあちこちのサイトを見ていたり、本を読んだりしているだけだ。実際に書いている時間なんて、さほど必要ではない。ほとんどが広告の仕事なので、デザイナーに指示を出すことでたいていは片付いていた。
    アプリを作っているときだって、あるいは企画書をがっつり書いているときだって、実際に机に向かっている時間なんてたかがしれていた。

    それでも「仕事」だからと家族からの頼みごとをことごとく断ってきたような節がある。実際はそうでもなくて、あちこち出かけてはいたはずなんだけど、根が貧乏性なのか机の前に座っていないとなんとなく落ち着かなかったのだ。
    出かけちゃったら、出かけちゃったで、その時間をちゃんと楽しめばよかったのに。いまならそう思う。
    きっと自分にも言い訳をしていた気がする。生きることに正面から向き合うことがきちんとできなくて「仕事」と称して、きっと逃げていたんだろう。

    いまのぼくは、なにをして生きていたいのか。
    大切なのはそのことだと思う。
    だから blog を書いていたり、小説を書いていたり、逗子をぶらぶらと歩きながら写真を撮ることをもっと楽しめばいいんだろう。

    でもね、やっぱり貧乏性だから、落ち着かないのだ。
    それって「仕事」なのかという疑問が頭をもたげてくると、妙にそわそわしはじめてしまう。
    いつになったらいえるのかな、ぼくがぼくでいることが「仕事」なんだと。

    まだまだ先なのかも。
    でも、それがいえたとき、きっと毎日が夏休みになるんだろう。
    それだけは確信している。

One Reply to “きっと逃げ先でしかなかった ぼくにとって「仕事」ってなんだろう 毎日が夏休み”

  1. […] デントの話だ。     ぼくがほぼ毎日、写真を撮っているということは昨日 blog に書いた。     昨日の逗子はめちゃ寒くて、おまけに朝からみぞれ混じりの雨が […]

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