「すいません」と「ありがとう」 言葉の力の奥深さを改めて感じる


    逗子にはいわゆるスーパーというものがふたつ、OK ストアとスズキヤというのがあって、きちんと棲み分けができている。
    あ、そういえば「業務スーパー」ってのもあったなぁ。こっちはいったことがないのでよく判らない。どうやら安いという評判なんだが、ぼくのふだんの行動範囲とちょっとだけずれているので、いかず仕舞いなのだ。
    ふだんの買い物は OK で、ちょっとした惣菜とか、パンはスズキヤで買うことにしている。OK でも惣菜やパンは売っている。けれど、量的なバリエーションが少ないので、どうしてもスズキヤになってしまう。ここだと、食パンを半斤二枚切りにしてもらったりといろいろとリクエストできるんだが、OK の場合はそこに並んでいるものしか買うことができないのだ。

    スズキヤは逗子駅のほぼ真ん前にあって、駐車場もすぐ横に入り口がある。この駅前のなぎさ通りは一方通行になっていて、池田通りと交差する場所に OK ストアがある。
    OK ストアはその建物の二階から上が駐車場になっているんだが、出入口がこのなぎさ通りにしかない。しかも、池田通りとの交差点の直前にあって、警備員が誘導しないと出入りができないようになっている。不便といえばまことに不便なのだが、この方法でしか車は入れないようになっている。

    駐車場から出ていく車を、交差点の信号の具合を見て警備員が誘導しているんだが、直前にあるために一度に三台ぐらいしか出ていくことができない。もちろん、その出入口の前を人が通行するわけで、車が出ていくときには、警備員が通行する人たちを立ち止まらせることになる。
    まぁ、だからどうってことはないし、ほぼ毎日のように買い物にいっているので、ぼくは慣れっこになっているんだが、昨日、買い物して帰ろうとしたときに、いつものように車が出ていくところで警備員に止められた。そのときの警備員の言葉がふっと気になってしまった。

    通行人たちの前に警棒を出すんだけど、「すいません、車がでます」といってぼくたちを立ち止まらせたのだ。
    あれ ? 「すいません」なのか、とふっと思ってしまった。
    これが「ありがとうございます」だったら、どうなんだろうと。「ご協力、ありがとうございます」といってぼくの足を止めたら、どう思うだろうと考えてしまった。

    なんだかつまらないことなのかもしれないけれど、ぼくとしてはやはり「ありがとう」といってもらった方が嬉しいように感じたのだ。
「すいません」と謝られてしまうと、なんだかこっちが上で、警備員が下手に出ているようで、なんとなく居心地が悪く感じる。おもしろいもので、同じことをしても、そのときに「すいません」なのか「ありがとう」なのかでずいぶん受け取る側の気持ちも変わるものだと、改めて感じることになった。

    いつ頃かきちんと記憶にはないんだが、たぶん 2016 年の秋頃だと思うんだけど、ある本を読んでから、なにかあると「ありがとう」というようにしてきた。これが不思議なことに、いい慣れないとなかなか「ありがとう」っていえないんだよね。
    たとえばレジで支払いをすませたときに「ありがとう」が素直にいえないのだ。注文した品物が出てきたときに「ありがとう」が素直にいえなかったのだ。もちろん、仕事をしていてもそうだ。頼みごとを聞いてもらったときに「ありがとう」が出てこない。
    喉の奥で言葉が引っかかったような感じになって、頭では「ありがとう」というつもりのでも言葉が口から出てこなかったのだ。

    意識して「ありがとう」というようにして、いまではようやくこの「ありがとう」がすんなりといえるようになってきた。
    いろいろなシーンでも、「すいません」とか、「ごめんなさい」なんてつい謝ってしまうことがあるかもしれないけれど、ぼくはやはりどういうときでも「ありがとう」といいたいなと改めて感じてしまったわけだ。

    なんだかその方が気持ちいいと思うんだよね。
    だって綺麗な夕焼けが見られたときに「見せてくれて、すいませんでした」なんていうより、「素晴らしい夕焼けをありがとう」の方が気持ちが伝わるような気がするんだよね。
    違うかな ?

    なんてね、今回も読んでくれて「ありがとう」。
    いつもこの気持ちでいるんだよ、ぼくは。
    そう、どんなことがあっても「ありがとう」といいたいんだよね。

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