令和元年の十円玉を見ながら改めて考える お金ってなんだろう


    小銭入れの硬貨を確認してたら、令和元年の十円玉があった。
    やけに綺麗な硬貨だなと思っていたんだが、まさか令和元年の硬貨とは想像すらしていなかったので、ちょっと吃驚。
    でも考えたら毎年硬貨を、というか紙幣もそうだけど、発行しているわけだから、なにも不思議じゃないんだよね。
    それでもこのところ買い物はほとんどモバイル Suica か nanaco かクレカで支払っていて、現金をこうやってしげしげと見る機会もほとんどないので、ちょっと考えてしまった。
改めて、ぼくにとって「お金」ってなんだろう、ってね。

    生まれてこの方、湯水のようにお金を使ったことがないし、どうも「豊か」ということに関しての実感を持つことができないんだが、それはそれで問題なのかもしれないなぁ。
    いや、なにも某ゴーン氏のように海外逃亡に十六億円使ってみたいなんて考えたこともないけど、それでも意識のどこかで常に心配していることも事実だ。
    いや、まぁ、いま切羽詰まってるんだけどさ。
    切羽詰まっていても以前のようなキリキリと胃が痛むような感じにならなくなったのは、ただ神経が太くなっただけなのか、それとも「お金」に対する意識がすこしずつ変わりつつある前兆なんだろうか。

    お金の感覚でいうと、たとえばはじめて会社を設立したときには五百万の札束を持って銀行へいったんだが、そのときの違和感というのはいまでもどこかに残っているのかもしれない。
    雇われ社長をやっていたときもそうだけど、社員に支払う給与なんて合計したら一千万を遙かに越える額で、月々の取り引きもだいたいそのぐらいの桁から、契約全体でもう一桁上ぐらい。なるほど振り返ってみても某ゴーン氏の逃亡資金には届かない桁しか扱っていないなぁ。

    ぼくがバイブルだと勝手に思い込んでいるお金に関する本があって、それには「お金は感情とデータだ」と書かれていて、なんとなく頭では解るんだけど、まだ実感が伴っていないのだ。きっとそこが問題なんだろうなぁ。とは思うものの、じゃどうすればいいのか、ということについての自分なりの解答をいまだに見つけることができていない。

    きっとそこなんだと思う。
    いまのぼくにとって大切なことは。

    だって社員の給料は、やはり銀行へ振込依頼をするためのただの「数字」でしかなかったわけだし、「感情とデータ」でいうと「データ」でしかないということはさんざん経験しているはずなのだ。
    なのに、なにかすっきりしないんだよなぁ。

    などと、真っ新に近い令和元年の十円玉を見ながら考えてしまうわけだ。
    お金ってなんなのだろう。きっと、いまが自分なりの答えをきちんと出すべき時期なのかもしれない。


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