型に嵌める生き方だと窮屈だよね ぼくはだれでもない、ぼく自身だから


    仕事をはじめたとき、意識をしていたのは肩書きだった。
    なぜなんだろう。肩書きなんて、ただの便宜上のものでしかないのに。なんていえるのは、いまだからだけどね。
    大学の五年生のとき、いや、ふつうは四年で卒業するんだが、ぼくはちょっといろいろとあって六年もいてしまったんだが、その五年目のときに、一年間テレビ朝日でアルバイトをしたことがあった。いわばぼくの最初の職歴といってもいいんだけど、あくまでもそのときはアルバイトだったからなぁ。
    番組つきの AD を一年間やったわけだ。懐かしい思い出ではある。けど、このときは社会の構造というものをなんとなく教えられた気がする。制作の現場はやはりヒエラルキーが厳然と存在していて、ぼくは局の人間で、現場には下請けの会社の人たちがいるんだが、扱いがやはり違うのだ。待遇面とかいろいろね。

    このときのぼくは AD というポジションではなくて、もっと発言力のあるポジションをなんとなく望んでいた節がある。
    そのアルバイトはあくまでも一年契約なので、その契約が終わったあと、しばらく「作家」という立場で現場と関わることになった。いわゆる放送作家だ。といってもほとんど雑用係みたいなものだったけどね。まぁ、その呼び名と現実はかなりかけ離れている場合もあるということなんだけど。

    そのままいわゆる業界にしがみついていてもよかったんだろうけど、ぼくの望みは「書く」ことだったので、新聞広告を頼りにコピーライターになったわけだ。
    コピーライターになったぼくだけど、やはり肩書きを意識していた。広告の制作の現場ではディレクタが一番偉い。その現場にもよるけど、デザイナを束ねるアートディレクタが大抵は偉い。その上となるとクリエイティブディレクタだ。
    ぼくはコピーライターだったので、目指すのはクリエイティブディレクタになる。でもね、業界全体をみるとやっぱりヒエラルキーが厳然としてあるわけだ。大手の広告代理店ならそれなりに大きな仕事もできるだろうけど、新聞広告で入れるような制作会社だと依頼される仕事だってたかがしれている。

    会社を変わって、フリーになって、その大手の代理店の人と仕事をしたこともあったけど、やはりぼくが目指していたであろうクリエイティブな仕事とはほど遠い状態だった。
    ひょんなことから PC ゲームを作っている会社の仕事を、ほぼ全面的に任されるようになり、その過程で広告制作会社を設立することになって、ぼくが代表になった。まぁ、こういうのを運命のいたずらというのかもしれない。
    社長なので、ぼくが一番偉い立場だ。そんな実力もないのに、このときはクリエイティブディレクタを名乗ってイキがっていた。

    それから幾星霜。歳をとって、こんな肩書きなんてなんの役にも立たないことをしっかりと学ばされることになった。
    雇われ社長のときには「CEO」なんて呼び方にも憧れていたっけ。
    どこでなにをしようと、どんなポジションに就こうと、どんな肩書きで呼ばれようと、ぼくはぼくでしかないことを、ぼくはジェットコースターのような人生で学ぶことになった。もしかしたら、それを学ぶためにいままで生きてきたのかな。

    いまのぼくは「たけいよしひこ / 松谷 高明」でしかないことを知っている。
    なによりも大切なことは、ぼくがぼく自身であることなんだということもね。

    だからこれからぼくは「たけいよしひこ / 松谷 高明」として生きていくよ。


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