さかのぼり日本史 なぜ武士は生まれたのか 読書メモ


    今年の 36 冊目。本郷 和人著「さかのぼり日本史 なぜ武士は生まれたのか」読了。
    歴史を振り返るときにどうしても頭に入れておかなければいけないことがある。
    それは、いまの価値観をそのまま当てはめてはいけないということだ。ところがこれがなかなか難しい。
    それは「逆説の日本史」で井沢元彦氏が繰り返し述べていることでもある。たとえば、祟りだとかあるいは科学的に明らかに間違っていることでも、当時信じられていたのであれば、どれだけいまの価値観と相違があったとしても、それがそのときの常識なのだ。

    ぼくたちは、というか、ぼくもそうなんだが小説で読んだり、あるいはドラマで観たりして武士という人たちのことをどうしても江戸時代のどちらかというとサラリーマン的体質を持った人たちをイメージしがちだ。
    ところが平安から鎌倉頃の武士といえばいいのかな、武力を生業にしていた人たちは、もっともっと荒々しい人たちだったようだ。それは本文内でも説明があるが、屋敷の近くを通っただけで、なんの理由もなく命を奪われ、その首を門前に並べられることがあるぐらい。
    さすがにちょっとイメージできないでしょ。

    もっといえば、いまは「命」というものがとても大切なものだという認識があるけど、そういう認識がきちんと浸透しはじめたのはじつは江戸時代の初期。ちょっと意外だけど徳川綱吉の生類憐れみの令ってのは、「命」を大切にしてもらいたいということを広く知らしめるためのものだったのだ。ただの「お犬様」ではないんだよ。
    まぁ、どうしてもそのあたりをきちんと認識するのは難しいよね。
    だからぼくもこうやって何度も同じように中世史といえばいいのかな、武士が世の中を仕切りはじめた頃のことを勉強しているわけだ。

    この本では四人の人物を挙げて、それぞれがどういう意味を持ったことを成し遂げ、その結果、武士が統治する時代、だいたい六百年になるだろうか、その時代が形成されていった過程を説明している。
    足利義満、足利尊氏、北条時頼、そして源頼朝だ。
    タイトル通り、順に遡っているんだが、それぞれの意義については本文を読んでもらいたい。
    簡単にいってしまうと、頼朝が武士による政権を誕生させ、時頼が武士が統治することについての意識付けをして、尊氏がその支配力を東国だけでなく日本というスケールに仕切り直して、足利義満が武士による統治システムを完成させたということになるのかな。

    それまで読み書きもできずただ刀を振り回していた乱暴者が、次第に自分たちの領地を守るために統治ということを意識しはじめ、それは東国で産声を上げたわけだけど、やがて公家たちだけが権力を握っていた京へと進出して、そして公家から公権力を奪う形で武士が日本を統治することになったわけだ。
    もっともそれがきちんと機能しはじめたのは織豊の時代から江戸時代にかけてということになるんだけどね。
    こういう視点で日本史を考えると、これはこれでまたなんだかすごい通史の見方になるのかもしれない。

    ということで、日本の歴史を、ドラマとか小説とか、あるいはゲームとかのイメージではなくて、事実としてどういう過程でいまに至っているのかということに、すこしでも興味があるのであれば、中世史の主役、武士たちを理解する上でもぜひ一読をお勧めする。

    歴史を直視しろ。
    なんていう人がよくいるけど、じつはそれはそれでとても難しいことなんだよねぇ。さまざまな視点から考える必要があるから。
    だから歴史はぼくにとってとてもおもしろいものなのかもしれないけどね。



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