自分軸ってなんだろう いままで解ったつもりでいただけかもしれない


    自分を大切にだとか、自分ファーストだとか、こころの声をちゃんと聴くとか、いろいろと偉そうなことをいってきたけど、もしかしたらぼくはきちんとそれを理解できていなかったかもしれない。
    ということを、いま感じている。
    人ってのは面白いもので、いろいろな人の意見や教え、知識なんかをいくら真剣に聴いて、それをしっかりと身につけたつもりになっても、じつはほとんどすり抜けたままになっている。そのすべてが抜け落ちているとはいわないけれど、どんなに素晴らしい考えを知ったとしても、それが自分自身のものにはすぐにはならない。
    そんなことを、じつはいまぼくは感じている。

    じゃ、どうすればいいのか。
    じつはその教えだとか知識、見識といってもいいかな、そういったものを自分のものにするために必要なのは、自分の言葉でそれをきちんと言語化した上で、その効果をたったひとつでもいいから経験する必要があるのだ。
    そう思うし、じつはその体験を昨日、味わった。だからいえるのだ。いままで偉そうなこといってたけど、なんだほんとうはぼく自身ちゃんと解ってなかったじゃないか、と。

    それをじつは予感したのが前に書いたけど「打ち出の小槌」の話だ。
    あれは、いろいろな人が本に書いたりあるいは話をしたりしていることを、ぼくがはじめて    自分の言葉で納得して、そして実体験していくための、じつは下準備だったのだ。
    ということを書くと、やっぱりあいつはそっちにいっちゃったのかと思われるかもしれないけど、事実なんだよ。
    やっぱりそっちにいっちゃったのかもしれないけど、それならそれでいいやと思ってる。

    いままで自己啓発といわれる分野だったり、スピリチュアル系の本をいろいろと読んできた。なぜそんな本を読んできたのか、じつはちょっと自分でもよく解らなかったし、そうそう大っぴらに喧伝するようなことでもないと思ってきた。
    その感覚自体がそういういい方をしてよければ正しくはなかったんだよね。
    自分でそれを照れてどうするんだってことだ、要するに。

    これはまた別の機会にきちんと書くつもりだけど、今回、まぁ世間的に考えればバンジージャンプと称して無謀ともいえる所業に及んだわけだ。
    はっきりいってどうなるのか。ちょっと強がっていたけど、じつは戦々恐々としていたわけだ。
    でも、昨日あることがあって、それでなんだか憑き物が落ちるようにすとんとぼくは見つけてしまったのだ。
    それが「自分軸」。ああ、これがほんとうのぼくの姿だったんだということだ。
    まだまだその片鱗をすこしばかり垣間見ただけなので、これからどういうことになるのか、じつはとても楽しみになっている。

    いや感覚的にいうと、まさに化けの皮が剥がれたといってもいい。本来の自分の姿をすこしだけ見つけた。そして、感じたのだ。
    ああ、これが自分軸なんだって。
    人からいろいろと押しつけられたり、それとなく示唆されたり、あるいはインプリンティングされた「ぼく」ではなくて、素の自分の姿がぼんやりと見えてきたのだ。

    なんてね、まだきちんとそれこそ言語化してぼく自身の言葉ですべてを語るところまでは来ていない。
    でも、話しはじめることができそうなところまで、やっと来ることができた。
    いま、ぼくが感じているのはそれだ。
    これから、ほんとうのぼくとして生きていけそうだ。それが、とても楽しみでもある。

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