執着とか固執との決別 うまく手放すことも大切かもしれない


 平成が終わり、令和になるからということもあるのかもしれないけれど、このところのドタバタでふっと芽生えたこころの動きを簡単にまとめておきたいと思う。
 癌の検査があったり、引っ越し先を探したりと、もちろん仕事なんかもあったりして、そういう意味では息つく暇がないようなここ数日だった。
 もちろんすべては自分で決めてやっていることだからそれはそれで納得しているし、ここ数年、こういうドタバタと動き回ることがなくて、たまにはこういう忙しない毎日もいいなとは思っている。
 なにせ一時期、雇われ社長をやっていたときには、京都にいったり、大阪にいったり、新潟にいったりということを日常茶飯事でやっていて、しかもほぼ毎日呑んだくれていたわけだから、まぁ、それはそれですごい日々を過ごしていたこともあったわけだ。

 さてそんな久しぶりに忙しない日々を過ごして、なんとなくなんだが「手放す」ことも必要じゃないかと思っているのだ。
 確かに予祝したり、あるいはなりたい自分に拘ることも必要かもしれない。
 けれどそれに執着したり、固執するのはちょっと違うような感じといえば解ってもらえるだろうか。

 ぶっちゃけていうと去年からとある女性に恋をしていて、それがまったく実る気配どころか取り付く島もないような状態が続いているわけだ。
 でもね、このドタバタの最中に、ふっと「手放せば」という気持ちになっているのだ。
 彼女に固執したり、彼女になにかを期待したり、あるいは強制するような素振りはいっさいやめたらどうだろうと。

 もちろん彼女に 対するぼくの気持ちは変わらない。
 というか、そんなに簡単に人を好きになったり、あるいは気持ちを変えるなんてことはぼくにはできない。
 彼女に対する気持ちを持ち続けるのはいいことだと思うけれど、しかし「手放す」ことも必要じゃないかと。
 一昨日、そのことを彼女に話そうと思ったのだが、タイミングが合わずに話せなかった。ほんとうは GW 前にきちんとしておきたかったんだけどね。

 世の中に「正しいこと」なんて存在しないことにぼくは気づいてしまった。
 あるのは、ぼくがしたいことなのかどうかということだ。
 自分自身のほんとうの気持ちを大切にすることで、ときにはわがまま放題になってもいいと思う。それが周りの人にとって迷惑なことかどうかもぼくには判断できないからね。
 だから自分ファーストで生きたい。
 その中に「手放す」ということも含まれるんじゃないかと真剣に考えているのだ。

 彼女に対しては、いまはただ感謝している。
 だって、ぼくが人を好きになることができたわけだから。
 離婚して、そういういい方をしてしまうと家族関係を破壊して、独りになったぼくが、まったく別に人に恋をする。
 そんなことを、ぼくがしてもいいんだと解らせてくれた。だから感謝しかない。

 でも、手放すことも必要なのかもしれないと思うぼくが、ここにいる。

One Reply to “執着とか固執との決別 うまく手放すことも大切かもしれない”

  1. […]  昨日も blog に書いたけれど「手放す」ということはなにも恋愛などの感情だけではない。  物理的なものだって「手放す」必要があり、たとえばそれは断捨離に繋がることになる。  肉体的なものだって「手放す」ことができる。  ぼくでいえば「癌細胞」をいま手放している最中だといえるだろう。 […]

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