強がらない。



 今年の 25 冊目。心屋 仁之助著「強がらない。」読了。

 最早なにもいうことはない。ぼくが正真正銘の心屋教信者であることに違いはない。
 ただ不思議なことはどうして新刊が出ると手にとって、そして中を確認してレジへと急ぐのだろうか。我ながらとても不思議でならない。
 彼の主張は、ここ数年ほぼ一貫していて、しかも同じことを繰り返しているだけだ。いや、「だけだ」というと語弊があるかもしれない。それだけ彼のいうことをこころの底からきちんと理解して、しかもなおかつそれを実行して生きていくことが、そんなに簡単なことではないからかもしれない。
 彼のいっていることはとてもシンプルで、しかも簡単なことにもかかわらずだ。

 まるごといまの自分を認める。
 いいところも悪いところもなにもかも、そっくり丸ごと認める。
 自分を飾らない。
 人からどう見られるかなんて一切考えない。
 損得ではなく、好き嫌いで、あるいはそのときに自分がしたいことをしていく。

 だから「頑張る」必要はないし、「強がる」必要もない。
 自分に弱みがあればそれを認めて、さらけ出す。そして、もし助けて欲しいことがあれば人に頼む。
 極端にいうと、産まれたまま、そのままで生きていればいいんだよ、ということだ。
 それをいろいろな場所で繰り返して話をしている。

 なのにぼくはそれを繰り返し繰り返し本で読んだり、podcasts で聴いたり、ときには You Tube でビデオを観たりしている。
 とてもシンプルで簡単なはずなのに、しかしそれとは真逆の生き方をいままでしてきたから、それをひっくり返すのがやはり難しいんだろう。
 彼が行っている定期的勉強会 Be トレは「こころのお稽古」なんだそうだ。
「お稽古」というからには繰り返し繰り返し意識していくことが必要なのかもしれない。

 そうやって繰り返し彼の言説を読んだりして、ぼくはいったいなにを得ようとしているのだろうか ?
 もしかすると、それを「知る」ことがいまのぼくにとってはなによりも大切なことなのかもしれない。だからこそ新刊が出るたびにぼくは彼の本を手に取っているのかもしれない。

 この本を読んでちょっとホッとしたところがある。
 それは彼、心屋仁之助も日々、いろいろなことを自分に言い聞かせながら生きているということだ。
 彼の主張を、彼自身が日々実践しているんだが、しかしそれも自然にできてしまうことではないようだ。心屋仁之助にしても意識する必要があるということは、いまのぼくが彼のいっていることをそっくりそのまま実行できなくてもなにも不思議ではないということだよね。

 さて、ぼくはこの人生でなにを得ようとしているんだろう。
 それがスタート地点なのか、それともゴール地点なのか。それすらもまだ解らないんだよね。

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