「こころ」のあり方

「ジェットコースター」。
 ぼくの人生をひと言で表すとすればこれほど的を射ているものはないかもしれない。
 アップダウンだけでなく急カーブやあるいは宙返りまで。まぁ、そうそうこんな人生を送る人はいないだろう。

 すべてを捨てて雪国に行き、そこから逗子に戻ってそれでもまだしばらくは余波が続いていたように思う。ちょうどこのサイトで blog をはじめたのが雪に埋もれたところにいた頃だ。
 そしてここ数年、ひたすら藻掻き続けてきた。坂を下りきったコースターのようにほとんどといっていいほど進んでいることを感じられない時期だったようだ。もちろんいまもそのペースは変わらない。けれど、そうけれど藻掻いてはいない。

 少しずつではあるけれど落ち着いてきたのかもしれない。
 いや、それは正しくはないな。自分とほんとうの意味で向き合うことができるようになったといった方がいいだろう。この歳になってはじめて自分のことを正面から見つめ直し、そして認めることができるようになってきた。

 おかしなものだ。
 酷いときには、自分の名前にすら嫌悪を感じていた。実に愚かしい話だ。
 といっても、そう素直に思えるようになったのもここつい最近のことだ。やれやれ。

 人は必要なときに、ほんとうに必要なものや人と出逢うことになっている。そう「マクトゥーブ」だ。
 ぼくの場合、それは本たちだった。
 心理学の本。おかしいよね。ぼくは大学で心理学を専攻していたのだ。でも、その心理学「アドラー心理学」とまったく接点はなかった。
 それがひょんなことからその概念をとてもきちんとまとめた著作と出逢い、アドラー心理学を知ってからものごとの考え方ががらりと変わった。自分をきちんと見つめ、そして認めることができるようになってきた。
 そんな状態をさらに後押ししてくれたのが心屋仁之助の著作だ。
「こころ」のあり方。
 それがとても大切なことなんだということをきちんと教えてくれた。

 そしていま、ぼくはもっともっと自分のことを深く理解するために「こころ」と対話していきたいと思っている。
 正直なことをいえばほんとうの自分と向き合うことがとても怖かったのだと思う。それでも生きていくには「自分」というものを解っている必要がある。
「こころ」が発する声を耳を潜めて、聞き漏らすことのないように汲み取っていきたい。
 それが「こころ」のあり方を知り、そして次のステップを踏み出すためにとても大切なことなのだと解ったから。

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