「ことば」のちから

 逗子に戻ってもうすこしで三年半なる。
 長いようで短い三年半だったような気がする。やがて四回目の冬が訪れようとしている。もちろんずっと独りだ。
 逗子に戻って来たときも独りだったし、そのあと離婚をしているので文字通りの「独り」だ。

 最初は淋しくて仕方なかったことを思い出す。
 それまでは望もうと望むまいと誰かが家にいた。でもいまはどんなに望んでも誰もいない。独りっきりだ。そのことがずいぶん堪えた時期があった。
 しかし慣れとはやはり恐ろしいものだ。
 人が現状を認めるやその現状を維持しようとする。それでもそうすることでしか乗り越えられなかったのかもしれない。
 面白いものでそれまでそんなに気にしたことがなかったのだが、この三年半で独り言が増えた。
 以前もなにかを呟いていたことはあっただろう。でも、こっそりと心の内でだった。それが声を出して呟くようになった。

 家にいるときはいいが、仕事をしている場所や通りを歩いているとき、買い物をしていたり食事しているときなど、声に出していることに気づき、思わずハッとすることすらある。
 たぶん誰か話をする相手ができない限り、これは治らないような気がしている。

 はじめの頃はなにかに対してよく文句をいっていた。心のモヤモヤが多かったのかもしれない。なにかにつけて文句の言葉が湧いてきて、それが口をついて零れだしていたようだ。
 それがすこしずつ変わっていったのはいつの頃からだろう ?
 いろいろなことを、主に「こころ」についてだが学びだしてからのような気がする。なにかについて文句をいうことが減ったようだ。自分自身のポジションというか、あり方といえばいいんだろうか、それが変わってきたからに違いない。

 具体的いえば、自分自身のすべてをきちんと受けとめて認めることができるようになってからだ。
 文句が減っていき、そのかわりに感想のような言葉が増えていった。声を出して笑うこともそういえば増えた。映画やドラマを観て思わず大きな声で笑うようになった。
 淋しさに押しつぶされそうだった頃は笑い声が部屋の中で虚しく響いて素直に笑えなかった。けれどいまは違う。

 そう、いまはむしろ意識して呟くようにしている。
 そのときの感情を素直に「ことば」にするようにしている。気持ちがよければ「気持ちいい」、美味しいものを食べたりしたときは「美味しい」だし、楽しいときには「楽しい」と、そのときに感じたことを、口に出して確認しているようにしている。
 自分の心の声が引き出せてきているような、そんな気がしているのだ。
 もっともっと自分の「こころ」の声をきちんと聴きたい。
 いまぼくは真剣にそう思っている。そのためにぼくは呟いている。

 なぜだろう、どこかで「ことば」の力を信じているのかもしれない。
 決して言霊とかそういった類の話ではなく、「ことば」が持つ力をだ。
 昨日、川沿いを海まで歩いた。真っ青な空がどこまでも広がりぼくは見上げた瞬間に思わず「綺麗だ」と呟いた。
 もちろん海に着き海岸から聳え立つ富士山が見えたときも。

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