不在者投票

 昨日、投票日だった。
 ぼくの住まいは逗子なので選挙区としては神奈川 4 区ということになる。
 今朝、結果を見てちょっと驚いたところだ。いままでは無風地帯みたいな感じだったからね。
 あまりこの手の話をしてこなかったのだが、今回は生まれて初めて不在者投票をしたこともあって、なにか残しておこうと思う。

 以前にも書いたことがあるんだが、ぼくは元々、すこし左寄りのポジションを好んできた。まぁ、生まれた年が年なのでそれはそれで仕方のないことだと思う。祖父の代から朝日新聞を読んできたし、なにより団塊の世代の下なのだ。全共闘真っ只中の時代を生きてきたということもある。
 事実、大学四年の年、ぼくの通っていた大学は冬休み明けからロックアウトされてしまい、学校にいくことができなかった。
 学校の周りには私服の刑事もいたし、銀ヘルを被って三里塚の闘争に参加していた友だちもいた。
 ということで「反対」することが正しいという価値観を植え付けられてきたといってもいいかもしれない。体制に、権力に、社会に「反対」することがまっとうな感覚だとぼく自身も信じていた節がある。

 高校三年の時には、生徒総会を友だちと共謀して乗っ取ったこともある。といっても力ずくなんかではなく、マイクの配置なんかをきちんと考えて、仲間が次々と生徒会に対して、筋書き通りに質問をしていったのだ。普段はそれこそシャンシャン総会よろしく、なんの質疑もない総会だったのに、このときだけは違った。
 質問といっても大した質問ではない。ウォータークーラの数を増やして欲しいだの、新聞部がなぜないのかとか、そんな他愛もない質問が徐々に他の生徒を刺激しはじめたらしく、まったく関係のない生徒からもかなり過激な質問が出はじめた。もちろんそれを狙って、ぼくらは筋書きを考えて質問をしたわけだが、最後には「先生帰れ」の大シュプレヒコールが響くことになった。

 乗っ取り大成功だ。
 おかげでぼくは風紀の先生から特別に睨まれることになったけど。
 まぁ、そんな経験があってそれ以降、政治的な運動に関わることはなくった。それはそれでよかったと思う。

 若かったから「反対」をすればよかったと思っていたことについては、とくに深く考えもせず社会人になり生きてきたように思う。
 でも、さすがに齢を重ねていくにしたがってぼくの考えも変化してきた。
 だからこそこの手の話をあまりしなかったということもある。
 政治を学んだわけではないが、国を運営するとなるとやはりきちんとしたグランドデザインが必要になるということは、どこの誰にもわかることだろう。
 しかし、マスコミが伝えることは別だ。なによりも現政権を貶めることに奔走しているような気がしてならない。新聞を読まなくなり、テレビを観なくなり、自分でいろいろな角度から Web を通して世の中で語られていることを見つめるようになると、それがよくわかる。

 今回、偶然ある候補の街頭演説を聴いた。というか、話が聞こえてきたといった方が正確だろう。
 そこで語られたのは「反対」ということだけだった。「現政権を打倒する」ただ、それだけだ。
 あまりの内容のなさに酷く失望した。
 失望したとともに、今回の選挙は強く推したい候補者や政党がないにも関わらず、投票だけはしようと決めた。
 ということで、不在者投票を今回、生まれてはじめてしたのだ。

 選挙が終わり、与党が圧勝した。
 ある意味あたり前だと思う。
「反対」だけで政治を行うことはできない。それをぼくらは民主党政権時代に経験したはずだ。
 しかし、なぜきちんと与党と議論できる、あるいは議論をしようとする野党が現れないのだろう。議員の椅子にしがみつく醜さだけが目立つのは、ぼくの眼が曇っているからだろうか。
 選挙の度に、これからぼくはどう投票したらいいのか、失望しながら決めなければいけないと考えると暗澹たる思いに陥ってしまう。

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