雨の日にカフェで想う

 ぼくは京都で産まれた。
 京都市の左京区にぼくの生家がある。銀閣寺の近くといえばなんとなく場所が判るだろうか。
 大きな通りから中に入っているので、まわりはごくごく普通の家ばかりだ。それから何度か引っ越しを繰り返していまのところに住んでいる。
 だいたいが住宅街の中にある家だったので、近くにコンビニやスーパーがあるところに住んだことはあっても、真ん前にカフェがあるというシチュエーションははじめてだ。

 大学の頃、お気に入りの喫茶店があってほぼ毎日足繁く通ったことはあったが、実はそれ以来といってもいいだろう、珈琲という飲み物を好んで口にすることはなかった。
 スタバだって片手で数えられるぐらいしかいったことがない。
 そんなぼくが家にいるときにはすぐ真ん前にできたカフェに通うようになってしまった。
 買うのは珈琲。それもブラック。
 でいつもはカップを受け取るとそのまま家に戻る。だって、ほんとうにマジで真向かいなんだもの。
 でも今日は雨降りなのでちょっと椅子に座ってぼんやりとしてみた。

 開け放したガラス戸の向こう側から湿ったすこしだけひんやりとする風が、雨の匂いとともに入ってくる。
 たまにはこうして過ごすのも悪くないかもしれない。
 そうやって雨に濡れた通りを眺めていたら、ふいに今朝読んだ blog のことが頭に浮かんできた。友だちの、っていっちゃっていいよね、シンヤ B さんの昨日の記事だ。

 実は昨日、髪をカットしてもらいにいってきた。だいたい二ヶ月に一度通っている。いつもいつも予約の日にちをドタキャンに近い形で変更する、あまりいい客とはいえないかもしれない。けど、逗子に住むようになってから通っているので、それなりの顔馴染みといえるかな。
 カットの後、髪を洗ってもらっているときのことだ。
 以前は苦痛でしかなかったシャンプーもいまは心地いいと思えるようになった。髪を洗ってもらいながら、なんとなく昔の自分のことを考えていた。

 なんといえばいいだろう。ぼくはともかくとんでもない人生を歩んできていて、まさにジェットコースターのような道のりで、時には死のうとさえ思ったこともあったほどだ。
 それがいま、髪をシャンプーしてもらいながら心の底からリラックスしている。
「ああ、いままでの歩みって、いろいろな選択してきたけど、これは全部正解だったんだ」と突然腑に落ちてしまった。
 そう。ぼくのこれからの道のりも決まっていて、どこまで自分らしくこの歩みを楽しみ味わうことができるか、それが人生なんだと解ってしまった。だから大丈夫、どうせすべて上手くいく。

 いやなんだかそのときの想いと、シンヤ B さんの blog がシンクロしているようで、そのことをとても不思議だけど、でもすんなりと受け入れる自分がいることを、雨に濡れる街をカフェで眺めながら納得をしてしまった。

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